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「神様のいない日本シリーズ」佐久間の今週の一冊

2013年03月11日 日記

今週の一冊は田中慎也さんの「神様のいない日本シリーズ」です。
野球を続ける夢破れ就職。後に野球賭博絡みのトラブルで失踪した父親から少年に葉書が届く。そこにはただ一言「野球をやってるか?」。父の願いをかなえるべきか、野球を憎む母に従うべきか、少年の心は揺れる。おりしも1986年日本シリーズでは、三連敗からの四連勝という奇跡を西武がおこそうとしていた。「父親が帰ってくる」という奇跡が少年の身にもおこるのか? 父と子の迫真の物語。
香折は、小学四年生で野球をやっている。上手いし体も大きいので、レギュラーがとれそうだ。四年生のくせにと、六年生に嫉妬され、いじめられた。いじめの口実は、祖父のこと。香折の祖父が、むかし、豚を殺した、ばくちうちで、やくざだったと悪口をいわれ続けた。香折という女の子みたいな名前も、からかいのタネにされ、もう学校へ行きたくないと、自室に閉じこもってしまう。
父さんが、ドアの外の廊下にすわり、語り始める。父さんの父親、つまり香折の祖父のこと、息子に香折という名前をつけたわけ。
少年のころ、野球をやっていた祖父。甲子園にあこがれていたが、家が貧乏で、三人の妹を養うために高校進学をあきらめた。野球をやめると決めた日、重い木のバットで、飼っていた豚をなぐり殺し、川までひきずっていって捨てた。その日、父さんの母さん、つまり香折の祖母と運命の出会いをした。1958年の秋のことだった。ときに日本シリーズの最中。西鉄ライオンズが三連敗の後、四連勝。奇跡の大逆転といわれた。日本シリーズに神様は、いたのか、いなかったのか。バットで豚を殴り殺して野球をあきらめ、祖母と運命の出会いをした祖父に、神様はいたのか、いなかったのか。その後、祖父は野球賭博に手を染め、妻とまだ幼かった父さんを置き去りにして、どこかへ行ってしまった。母の手一つで育てられていた父さんのもとに、毎年、夏になるとハガキが届いた。金釘流の太い文字で、「野球をやっているか。野球をやれ」。ハガキ一枚が、父さんにとってどこかできっと生きている父親の存在の証明だった。しかし、父さんは、野球を見るだけで、やることはなかった。
1986年秋。中学三年生の父さんは、文化祭で「ゴトーを待ちながら」という難しい芝居を上演した。出演者は、たったの三人。そのうちの一人、発案者の女の子に恋をした。香折の母さんになる人だった。もうひとりいた女の子の名が、香折だったのだ。ゴトーの伝言を伝える男の子役の、一年生の女の子。ときに、日本シリーズのまっさいちゅう。広島対西武の日本一をめざす戦いは、三勝三敗一分けで七戦で決着がつかず、第八戦までもつれこんだ。勝利を手にしたのは、西武ライオンズ。第四戦で王手をかけながら、引き分け一つがあったために日本一を逃した広島。日本シリーズに神様はいたのか、いなかったのか。
そのころ、父さんは、年に一度、どこからか届く父親からのハガキは、実は母親が書いていたものだ知ってしまった。心のどかで、「父」を待ち続けていた父さんに、神様はいたのかいなかったのか。
実は、「父」の存在を演出し続けた母親こそ、父さんにとって神様だったのかもしれない。
文化祭の日、客席の最前列のまんまん中に陣取り黒地に金と銀で松が描かれた着物を着て舞台を見上げる母親を確認するところで、父さんの長い長い自分語りは終わる。
息子の香折は、結局姿を現さなかった。

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