「わかったつもり」佐久間の今週の一冊
2012年07月17日 日記
今週の一冊は西林克彦さんの「わかったつもり」です。
よりよく読もうとする際に私達読み手にとって最大の障害になるのが、自分自身の「わかった」という状態です。
「わかる」ことがどうして障害になるのだろう、むしろ前進するための足がかりとして大事ではないかと思われるでしょう。
今私達が文章を一読して「わかった」という状態にあると考えてみてください。
この一読して「わかった」という状態が、実はあまり良くわかっていない状態はよくあること。
だからこそ文章をよりよく読まなければならないわけです。
ところで「わかった」という状態は、「わからないこと」がないが「わかった」状態なのです。
だからよりよく読むために「わからない」ことを手がかりにして、前進するわけには行かない。「わからない」ことがない。
その様な状態から、どのような方向の努力をすればよく読めるようになるのでしょうか。
実は何らかの形で、自分自身のその時点での「わかった」状態を壊さなければならないのです。
この意味で、充分ではない「わかった」状態、すなわち「わかったつもり」の状態は私達にとって乗り越えるべき大きな障害となるのです。
・「わからない」「わかった」「よりわかる」に関するまとめ
①文章や文において、その部分間に関連が付かないと「わからない」という状態を生じる。
②部分間の関連が付くと「わかった」という状態を生じる。
③部分間に関連が付くと以前より、より緊密なものになると「よりわかった」「よりよくよめた」という状態になる。
④部分間の関連をつける為に、必ずしも文中に記述のない事柄に関する知識ををまた読み手が作り上げた想定・仮定を私たちは持ち出して使っている。
・読み手の「想像・仮定」の構築によって「読み」を深めるわけですが、「想像・仮定」に関する制限のまとめ
①文章のずれや矛盾がない状態において、複数の想像・仮定、すなわち「解釈」を認めることになる。
間違っていいない限り、また間違いがあらわになるまでその解釈は保持されない。
②ある解釈が、文章のずれや矛盾がない状態を示しているからといって、それが唯一正しい解釈と考えることは出来ない。
③しかし、ある解釈が周辺の記述や他の部分の記述と不整合がある場合は、その解釈は破棄されればならない。
「わかったつもり」という状態が、「読み」を深める為の大きな障害になること。そして、より細やかな文脈を駆使して「わかったつもり」に
当たれば効果があること。
「読み」を深める上で読み手の「想像」が欠かせないのですが、それには整合性という条件が存在するのです。
皆さん「読み」に対する読解力はとても大事です。