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佐久間の今週の一冊

2011年11月28日 日記

今週の一冊は門田隆将さんの「甲子園への遺言」です。

この本は伝説のプロ野球打撃コーチ高畠導宏さんの生涯を描いた本です。

平成16年夏、一人の高校教師がすい臓がんで亡くなりました。わずか60歳でした。

その高校教師は特異な経歴がありました。なんと、約30年にわたって、プロ野球の打撃コーチを務めていたのです。

渡り歩いた球団は、南海、ロッテ、ヤクルト、ダイエー、中日、オリックス、千葉ロッテ。

プロ野球はパワーから技術へ、諜報戦から総合戦へ、様々に形を変えていく中、彼は時代の最先端にいました。

そして7つの球団で独特の打撃理論と卓越した洞察力を駆使して選手たちの指導を行い、時に相談に乗り、汗と涙を共有しながら、気が付けば

のべ30人以上のタイトルホルダーを育て上げていました。

高畠さんは自身もとてつもない打者でした。高校、大学、社会人とその技術とパワーと技術は、常に相手を震え上がらせていたそうです。

晩年は野村監督の下、代打専門の選手として活躍しました。

しかしプロでは肩に致命的な怪我を負い、短い野球人生を終えます。わずか28歳という若さで打撃コーチとなった高畠さんは、

持ち前の頭脳と研究熱心さで、誰もが持ちえなかった独特の野球理論を作り上げバッターに伝授していきます。

彼は一人一人の打撃フォームや個性に応じて、教え方は様々に変化していきました。

時にはある選手と別の選手とで180度全く違うことを教えたりもしたそうで、

自分を誇らず、選手を陰から支え、自分の打撃理論を決して押し付けることはなかったそうです。

「コーチの仕事は教えない事だよ」と高畠さんはおっしゃっていたそうです。

教え子にはかの有名なイチロー選手。三冠王落合選手がいます。

野球が大好きだった高畠さんは、生涯の職業として野球を選び、困難に遭遇しても、苦境に立っても、くじけることなく正面からどんなことにも気力を

持って挑んでいきました。

プロ野球界が諜報野球に支配されていた時期も、高畠さんはその先頭になって戦っていました。

野球界の裏と表を知り尽くした生き字引です。

それを支えたのは、栄光を夢見る選手たちのためには、どんなこともやり遂げてやる、というような強烈な思いにほかなりません。

人のために一生懸命なれる人はそういませんよね。

自分の果たす夢を後輩に託し、その実現のためにはあらゆる苦労をいとわなかった。この本は野球が好きで好きでたまらなかった一人の男の物語です。

その伝説の打撃コーチは、50代半ばで一念発起し、高校教師になるために通信勉強を始めます。

そして5年かかって教員免許を取得し、日本野球の原点ともいえる高校野球の世界に帰っていきました。

そして多感な高校生の教育に挑戦しました。

そして、わずか1年あまりの教員生活で、生徒たちに多くの影響と思い出を残していったのです。

高畠さんはどんな時も弱音を吐かず、決して人に弱いところを見せませんでした。

死の間際のまでも、決して家族に痛みを訴えることはなかったそうです。

それを言えば家族の心労がかさみ、さらに苦しませることがわかっていたからです。

どんな場合でも他人への思いやりや優しさを忘れず、夢を実現するために努力を欠かさず、どのような困難にも気力を持って挑んだ男。

この生き方は多くの人々に何かしらの勇気を与えるはずです。

高畠さんの最後の心残りは、高校の野球の指導ができなかったことだと思います。

アマの規定でプロの選手は、プロを退いて2年間、高校野球を指導することができません。

あと半年ほどで指導ができるといった矢先のがんでした。

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