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村山の今週の逸品 「ラベンハム」

2013年10月24日 日記

スズキアリーナ水戸桜の牧の村山です。
最近寒くなってきましたね。今回は僕が愛用しているラベンハムのキルティングジャケットを紹介したいと思います。

ラベンハム.jpg


ブランド紹介です。
ラベンハムは1969年、ロンドン北東部SUFFOLK(サフォーク)州の小さな美しい村LAVENHAM(ラベンハム)で設立されました、社名はその村の名に因んでつけられました。ラベンハム創設者Mrs.Elliotは当時、エリザベス女王に仕える女官でしたが、ある時キルティング加工をした生地を使い女王の乗られる馬用の毛布(ホース・ブランケット)を作る事を思い付きました。Mrs.Elliotが発案したナイロン・キルティングのホース・ブランケットは1969年に発売され、瞬く間にラベンハムのホース・ブランケットが英国中に広まり、乗馬用具業界での地位を確立しました。ナイロン・キルティングのホース・ブランケットが余りに軽く、丈夫で保温性が高くまた単価も適正であった為、乗馬愛好家自身が着用するジャケットの要望が高まりました。
1972年多くの乗馬愛好家の要望でナイロン・キルティング・ジャケットが発表され、愛馬とお揃いのジャケットを着たジョッパーが増えて行きました。その後は乗馬愛好家自身のライディング・ウェアを毎年発表し続けています。
1978年にはラベンハムの名を決定的に印象付けた製品、ダイヤモンド・キルティング・ジャケットが発表されました。このラベンハム・キルティング・ジャケットはベーシックで実用的な乗馬用トレーニング・ウェアの中に高いファッション性と高品質という概念を取り入れ高く評価された。
1982年以来、メンズとレディスウェアに力を入れ、ロンドン、パリ、ミラノ、ローマでスタイリッシュな英国製アウターウェアブランドとしても高い評価を受けています。

僕はラベンハムを4年ほど着ていますが、まだまだ丈夫で一生、使えるのでないかと思うほどの丈夫さです。またこのキルティングの生地は自社工場で作られており、様々なバリュエーションがあるのも魅力の一つだと思います。
ジャケットも軽いので持ち運びも楽で、寒い冬には欠かせない逸品です。
これから先も長く大事にしていきたいです。

今週の一冊「グラウンドの空」

2013年10月23日 日記

今週の一冊はあさのあつこさんの「グラウンドの空」です。

この小説はいきなり結末からスタートする。

野球の大会に挑んだ中学生の大会の最後の試合が書かれてスタートしています。

この本の中で野球の様子が書かれているのはここだけ。

主人公、山城瑞希が通う八頭東中学校は県境にあり、人口が減り続けている地域。

瑞希はキャッチャーを努めているが、人口が少ないせいもあってか良い選手は集まらない。

現在この野球部は、野球で一番大事なエースピッチャーがいないのである。

そこに転校してきたのが、作楽透哉。透哉は大地主の孫だが、どうやらわけありの様子で転校してきたのに一切学校には顔を見せない。

人を怖がって学校に来ないのだという。

同じ野球部員の親友、田上良治が作ったきっかけで、二人は透哉はすごいボールを投げるピッチャーということを知る。

早速野球部に勧誘をするが、もちろん断られてしまう。「野球しようぜ」この言葉はあまりにも直球すぎて透哉に受け止められなかった。

しかし、二人はこれに動じなかった。どうしたら彼がグラウンドに来てくれるか試行錯誤する。

「野球しようぜ」「キャッチボールしょうぜ」この言葉は本の中によく出てくる。

だが、この二つの言葉はうまく使い分けられていた。

相手のことをよく知らずに、ただ一方的にボールを投げていては相手に伝わらない。

思いを伝え、受け止めなければ伝わらないことがわかったのだった。

透哉は地元神奈川のチームで野球をやっていた時に、有名なピッチャーだった。

その時の親友から野球を勧められ、野球を始めた。内気な性格を変えてくれたのは野球だった。

しかし、あまりにも才能に恵まれ過ぎてしまった透哉。周りからの嫉妬などから徐々に野球から距離を置くようになり、周りのいじめから友達の財布を盗んだという濡れ衣を着せられてしまう。

それから、人を信じれなくなった透哉は引きこもり、学校へ行かなくなってしまったのだった。

その姿に耐えられなくなった透哉の母は祖母の家に転校を勧める結果となった。

また野球を始めるきっかけとなった言葉「野球しようぜ」は、お前の過去も全て受け止めた上で純粋に野球を一緒にやりたいという思いが伝わったからだったのだと思う。

田舎に住む純粋な少年たち。初めは自分たちのことしか考えていなかったであろう。

それだけでは伝わらないと気づいた少年たちは、正面からぶつかり合い分かりあった。

その結果、透哉というエースピッチャーを見つけたチームは優勝する。

透哉の全力で投げるボールを受け取ることができたのである。

少年たちの純粋な気持ちが書かれている本でした。


今週の一冊「限界集落株式会社」

2013年10月17日 日記

今週の一冊は、星野伸一さんの「限界集落株式会社」です。

この本の物語は、山間の小さな農村を舞台にしたエンターテインメントです。限界集落は人口の過半数を65歳以上の高齢者が占める地域のこと。

このような集落の一番の問題は公共施設が徐々に無くなっていくということです。子育て世代が都会に進出し、後継がいない。子供も少なくなり小学校など統廃合に至る。

人口減により、地域医療の崩壊。公共交通も赤字が続き廃線。などなど「限界集落」は何事にも限界を迎えているものなのである。

ないないづくしの集落が全国で1万箇所も存在しているというのだからとても驚きです。

主人公多岐川優が企業のために、IT企業を辞職し人生の休息のための訪れた故郷は、まさに限界集落だった。

地域の役場からも冷たい扱いを受け診療所はなくなり、郵便局はとうに廃止され、交通手段であるバスまでもが廃止された。そんな集落は滅亡への一途をたどっていくしかなかった。

優は村の人と交流していくうちに、集落の農業を担うこととなった。

・休耕地がバラバラになっているのを統一

・ 思い思いの作物を作るのではなくて、消費者が欲しい物を作る

・一旦お米の生産を辞める

・ 旬の時期が少しずれる高地野菜に特化する

・ なんでも高値で販売するJAとの取引の中止

それなら、自治体に頼ることのない、農業生産法人=会社を作りましょう ではじまった限界集落株式会社。

都会で落ちこぼれた若者にネットの強みをいかんなく発揮してもらい、キャラクターを作り、形が不揃いのクズ野菜を販売する。 地元への販売を止めて、市外・県外にでてフレッシュな減農野菜を売り込み、少しずつ手応えを感じる。

現代の農業や地方集落が抱える様々な課題と格闘し、限界集落を再生しようとする。
出てくる登場人物、老人・フリーター・キャバクラ嬢・犯罪者・外部のものを認めない田舎者・自分中心の人間などが一致団結し、限界集落からの脱却をしていく姿を書いた本です。

今後限界集落は、高齢化社会が進むにつれ増えていくと思われる。そこから脱却するヒントなのかもしれない。

ないないでは、何もないまま。自分たちが動かなければ何も始まらない。それは全てに言えることなのかもしれない。


鈴木の今週のドライヴスポット 「ガンダムフロント東京」

2013年10月11日 日記

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今週のドライヴスポットは、東京お台場にあります、「ガンダムフロント東京」をご紹介いたします。

ゆりかもめの台場駅から徒歩5分、フジテレビ本社の近くにそびえ立つ、等身大のガンダムが目印の「ガンダムフロント東京」。

「機動戦士ガンダム」が放映30周年を記念し、2012年にオープンしました。

ここでは「1/1」や「リアル」をコンセプトとしていて、よりガンダムを身近で感じることができるエンターテインメントです。

入り口にある実物大ガンダム立像「RG1/1 RX-78-2ガンダムVer.GFT」は新規デカールと共に、

細部にディテールアップパーツを追加しています。

足首、膝、肘の関節部分に円形のパーツを追加し、「マグネット・コーティング」というアニメーション上の設定を再現しています。

また、夜間には「ダイバーシティ東京プラザ」壁面に約32m×11.5mの映像を投影!

大迫力の映像をバックに、ガンダム立像へ向けて新たなライティングが施されます。

ガンダム立像と映像が織りなす新感覚ビジュアルエンターテインメントが無料でお楽しみいただけます。

残念ながら時間の関係で施設内に入らなかったので、次回は施設内も見てみたいと思います。

【アクセス】 「ガンダムフロント東京」 東京都江東区青海1-1-10

今週の一冊「ひなた弁当」

2013年10月07日 日記

今週の一冊は山本甲士さんの「ひなた弁当」です。

五十歳を目前に芦沢良郎は大手住宅メーカー王崎ホームをリストラされてしまう。

妻や娘からも愛想を尽かせれ居場所を失う。

実はこのリストラには会社の仕組まれた罠だった。自信も誇りもない男にもう立ち上がる気力はなかった。

リストラされた後は出勤のふりをし、近所の公園で遊んでいた良郎。

そんな時ドングリは食べれるのではないか?とふと思う。

いろいろ調べるうち、ドングリは食べれるという事がわかる・

お金を払わなくても、食べられるものはこの世にたくさんあった。

釣りに関しては全くの素人だったが、釣りの師匠に仕掛けなどを教えてもらい、釣り具を購入し 魚を取ることができるようになる。

さらに食べられる雑草も調べ上げ、自宅で料理をし始める。

ドングリ、魚、雑草タダで手に入るものを工夫すればおいしく食べることがわかった。

さらに料理の腕が上がっていった良郎は、昔通っていた弁当屋が休業状態であることを知り、弁当屋を始めようと決意する。

その弁当の名前は「ひなた弁当」

人柄のよかった良郎。口コミなどの効果もあってか、徐々にひなた弁当も知名度を上げていった。

新聞でも紹介されたひなた弁当は、食材調達・調理・販売もすべてこなそうとすると一日40食が限界だった。

収入は会社員よりも減ったが、良郎の生きがいは会社にいたころよりもずっと輝いていた。

妻も子供もそんな良郎を認め出すようになり、家族内の不協和音もなくなっていった。

食材調達のために外を出たことにより、様々の人と話す機会を得ることができた。

人との出会いで、元会社の株主にあったり、小説家にあったり、口コミを広めてくれた元同僚にあったりと

様々な人とのつながりで、良郎はある意味復活することができた。

良郎の言葉「人生っていいものですよ」

みんな幸せになれる、ほっこりとした小説でした。

村山の今週の逸品「IWC ポルトギーゼ7days」

2013年10月04日 日記

スズキアリーナ水戸桜の牧の村山です。

先日時計屋さんに行った際に惹かれる時計があったので紹介したいと思います。IWCのポルトギーゼ7daysという時計です。

IWC ポルトギーゼ7days.jpg


ブランド紹介です。

践してきた名門時計ブランドです。永久カレンダーを備えた有名なダ・ヴィンチはその一つです。それだけではありません。初の腕時計サイズの「グランド・コンプリケーション」IWCは1868年の創業以来、シャフハウゼンで時計作りの高度な技術を誠実に高い耐磁性を誇る「インヂュニア」、あるいは水深2000メートルまでの水圧にも耐える世界唯一の機械式水深計を備えたダイバーズ・ウォッチもそうです。プロ仕様の「パイロット・ウォッチ」はIWCから生まれました。見事なポケットウォッチもまた、比肩するものがありません。 IWCはすべてを自社で作ることのできるコンプリートメーカーへ発展。 20世紀に入り、IWCは欧州から世界市場へと進出。1930年代には現行ラインとなる大型ケースに懐中時計用ムーブメントを収めたポルトギーゼが誕生。航空界の発展と共に高性能航空時計としての地位を固め、航空時計の名作・マークシリーズをはじめ、2499年まで表示可能な超複雑時計ダ・ヴィンチなど、実用性の高い時計から、超複雑時計まで多彩なラインナップが魅力です。

この時計のすごいところですが、パワーリザーブが7日間ついております。パワーリザーブというのはゼンマイを完全に巻き上げた状態で放置すると7日間動き続けるということです。僕の時計が70時間ですのでその二倍は動き続けるということです。さらにパワーリザーブの残量も表示してくれるところも惹かれました。革ベルトも魅力の一つでしょうね。スーツとの相性をいいです。

ムーブメントといって機械の中身も自社で作っているところも、IWCの良さがでていると思います。